代表理事伊藤圭志プロフィール

 In sekakimi

こんにちは!
セカキミ代表理事の伊藤です。
名古屋のセカキミでは、若者の夢を叶える団体として日々活動しています!
今回お伝えするのは「私、伊藤のプロフィール」について。
今後小出しに出していきたいと思います。

 

Q.小学校の夢は?

F1レーサー(アイルトンセナとサイバーフォーミュラーに憧れて)

 

Q.昔の夢?今の夢?

貧乏を抜け出したかった、お金持ちになりたかった、お母さんを苦労させたくなかった。

 

Q.あなたにとってセカキミとは?

最終的には世界を変えるような日本人を発掘したいんですが まだまだ僕たちも走り始めて2年です。 世界は変えられなくても、もがいている若者の世界観を少しでも変えられたら その為に、今見ているもの、今見えているもの、角度や見方を変えることから一緒に始めたいです。見えてる世界が変わってこれば、自分の人生が変わります。自分の人生が変わり始めると世界に貢献したくなっちゃうのが日本人なんです。

 

<プロフィール>

三重県桑名市で生まれ育ちました。

22歳からベトナム社会主義共和国へ渡り
何か自分でできるんじゃないか、自分の可能性を証明したい

そんな思いで、私はベトナムで働きたいです。と飛び込みで仕事を探しました。

なかなか仕事が見つからない中、安宿街で黄昏ていると
お前達、うちの店先で何やってるんだ?
と声をかけられました。
 
仕事を探してますと答えると

じゃー俺が雇ってやるから、中に入れ!
TNK Travel Vietnam を立ち上げたばかりのMrユン
彼との出会いが僕の人生を大きく変えました。

彼は、英語で日本人の君を雇う余裕がウチにはないから
完全歩合制で働くといのはどうだ?
その代わり、寝る為のベットは提供してあげる!

何が何でもベトナムで働きたかった僕は0.2秒で
YESと即答した。

ただ実は英語で説明されている部分を理解しておらず
給料+寝るベットを提供してくれる!と説明されたと勘違いして
有頂天になっていた事をここで初めて明かします。笑

日本でアルバイトの経験のなかった僕が、旅行会社で働き始める。

自分の人生を変えてくれた旅が仕事になるなんて、なんてジャーニーなんだ。

20歳の時初めて海外へでた。
インドへの43日間、よくウンコキャラにされるのはインド旅でのミッションは
人前でウンコして来い!だったから。
43日間のインド旅で多くの経験と新しい視野を手に入れた僕は
その後ニュージーランドを60日間ヒッチハイクで周り、感覚的に中学生3年間で学ぶ英語から学び直しました。

そして、22歳。旅を楽しみ、自身をもっと成長させる為に勉強をしたいと思っていると
100万円持って、海外で失敗して来い!それが将来に活かせる最高の勉強だ。
それに残念あ柄、日本の社会が君を受け入れるには、もう10年はかかる。
それまではこの国から出て、成長できる場所を探しなさい。

そう言われて僕はベトナムへ渡りました。

15年目になったTNK Travel の取締役Japanese Section Manager として
現在14名の日本人スタッフ20名以上の現地人スタッフに一様代表として認識されている。

学生時代は母子家庭で育ててくれている体の弱い母がいつ働けなくなるかわからなかったので
毎週土日は朝7時から夜21時まで13時間無理言って自動車工場で働かせてもらった。(定時8h残業5h)
そこが一番最初に触れた外国だった。ブラジル人、ペルー人、ボリビア人、一緒に働いた。
彼らは月曜日から金曜日まで働いているのに、僕と同じ土日も出勤していた。
家族全員で3年休まず働いて、自分の国に家を立てる。さらに2年休まず働いて、老後までのお金を貯める。
 
目的が一緒だった僕たちはすぐに仲良くなり、南米の事とポルトガル語をたくさん教えてもらった。
20歳でインドに行った頃は、英語よりもポルトガル語の方が出来たかもしれない。

2005年5月3日 僕を自動車工場で働かせてくれた派遣会社の社長がベトナムにきてくれた。
頑張っている姿を見ておこずかいと10万円くれた。当時の僕の月給は3万円だったので、3ヶ月分の給料だった。
2005年6月3日 派遣会社の社長が大動脈破裂で他界
10万円は葬式に参列する為に、渡された物だと気づく
2005年7月3日 ベトナムの旅行部門を仲間に任せ、緊急帰国し派遣会社の建て直しを手伝う

28歳の結婚を期に派遣会社を退職して世界一周を計画
当時売上20億の派遣会社だった事業をNo2として任せると言われ引き留めにあい
世界一周はいつでもできると思い、会社に残る。
500人の外国人労働者を管理し、30歳で目標にしていた年収を手に入れた。
リーマンショック後に300人の派遣切りを経験する。派遣社員からより多くの正社員を産み出す事やりがいに、
非正規労働者をモチベートし続けている事に疑問を感じ始める。
福島正伸先生の講演で手にした本に、
子ども達が憧れるのは、成功者でなく、挑戦者である。という言葉に感銘を受け、
2014年再度挑戦する為に派遣会社を退社

2013年9月25日母の還暦の誕生日に株式会社ビラスタートを設立
若者の海外挑戦を応援するビジネスを構想2014年にスタートさせる。
最初の1年全く売上を上げることができなかった。
世界を変える日本人はキミかもしれないの前身であるグローバルスタート&スタンダード(グロスタ)
を毎月開催しコミュニティーの立ち上げを始めた。
その中で出会った三浦宗一郎と2015年8月13人の若者と一緒に旅をした事がきっかけで
2016年8月より旅革命という名の研修事業を始めた。
当時世界一周から帰国した吉野裕斗をリーダー事業の担当者とした
2017年2月2期20名、2017年8月4期46名、2018年3月4期48名
2017年からは代表取締役を吉野裕斗に譲り、支援に回る。

2016年10月10日第1回世界を変える日本人はキミかもしれない開催
2017年3月    第2回世界を変える日本人はキミかもしれない開催
2017年10月14日第3回世界を変える日本人はキミかもしれない開催
2018年4月30日第4回世界を変える日本人はキミかもしれない開催

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